はじめに──古典的ジレンマに答えはあるか

「上司はできる奴に時間をかけてもっと伸ばすべきか、それともできない奴に時間をかけて底上げすべきか?」

初めて部下を持ったマネージャーなら、一度は頭を悩ませたことがあるはずだ。教育は平等であるべきだ、組織の底上げこそが最適だ──そうした理想は確かに耳に心地よい。だが、現場で人と向き合うと、その理想は容赦なく試される。

私は実際の失敗体験から、この問いに自分なりの答えを出すことになった。**「できる奴に時間をかけて伸ばすべきである」**と。


失敗談──Xさんに費やした1年

昔話から始めよう。私が初めてマネージャーになったとき、チームメンバー10名の中に社内でもある意味札付きの問題の多い"出来ない部下"がいた。仮にXさんとする。

彼の行動は問題だらけであった。

  • 所かまわず頻繁に居眠りをする。注意すると逆ギレする。(あまりにひどいので一度医療機関を受診させたが異常は見られなかった。)
  • 人の話を聞かない。
  • ミスが多い。
  • プライドばかり高く、それらについて注意を受けるとあからさまに不貞腐れた態度をとる。

過去の上司は皆、匙を投げてきた人物だった。だが私は「このXさんを戦力化できればチーム全体が底上げされる」と信じ、1年間、指導の半分以上をXさんに費やした。居眠りの問題点を説明し、ミスの原因を一緒に探り、単なる精神論ではなく具体的な行動に落とし込めるよう対話と努力を真摯に重ねた。

結果は──何も変わらなかった。本当のところは本人にしかわからないが、私から見れば完全に馬耳東風、といった有様であった。
もちろん、このようなケースは極端であり、すべての低パフォーマーが改善不可能という意味ではない。一定の潜在力を持つ人材に適切な機会を与えれば、十分に変化を見せることもある。

ただ、Xさんに費やした時間は、少なくとも私が彼の直属の上司である間においては殆ど無駄に終わった。今にして思い返せばメンバー10名のチームの1人である彼へ多くの時間を費やす事は、他のメンバーから見れば不公平であり、チームの士気を下げた危惧さえあったとさえ考えられる。

1人の部下を救うことに固執して、残りの9人の成長機会を奪っていた──そんな私の姿は、穴の開いたバケツに水を注ぎ続ける人に似ていた。


180度の転換──できる奴に投資する

その後、私は考えを大きく変えた。見込みのあるメンバー数名に指導の大半を注いだのである。
もちろん見込みのある者は放っておいても成長する。
だが直接様々なビジネスにおけるフレームワークやその使用場面、あるいは顧客対応時の考え方、譲ってはならない点等を教えることで、少なくとも私の目に見える成長速度は圧倒的に向上していった。
それだけに留まらず、彼らはやがて私が救えなかった他のメンバーにも影響を与えていく事となった。Xさんですら、直接指導していた頃よりも、周囲の成長に刺激されて以前よりは改善したようにすら見えた。

この経験から学んだのは、できる奴を伸ばすことが、結局は組織全体を伸ばす最短ルートだったということだ。


心理学の視点──ピグマリオン効果とゴーレム効果

教育心理学には有名な概念がある。

  • ピグマリオン効果:高い期待をかけられた者は実際に成果を伸ばす傾向がある。
  • ゴーレム効果:逆に「期待されていない」と感じた者はパフォーマンスを下げる。

つまり「誰にどれだけ期待をかけるか」は、その人の成長に直結する。全員に均等に時間を割けばよいわけではない。むしろ、期待を込める意味=成長が見込める人に大きな期待とリソースを注ぐことが、組織にとって合理的だ。


組織論の視点──限界効用逓減とリソース配分

経済学の概念を借りれば、ここでも 限界効用逓減 が働く。

  • ハイパフォーマーに投じた1時間は、すぐに大きな成果へと変わる。
  • 低パフォーマーに投じた1時間は、改善幅が小さく、組織全体への波及も乏しい。

過去の記事でも触れたように、マネジメントとは目的達成のためにリソースを調整し続ける営みである。ならば「時間」という限られた資源は、投資効率の高い場所に集中的に振り向けるべきだ。


公平性への反論にどう答えるか

「できない人を見捨てるのは不公平ではないか」という声は常にある。
だが、公平には二種類ある。

  • 機会の公平:学習や挑戦の機会は誰にでも開かれている事。
  • 結果の公平:均等な成長を約束する事。

組織が目指すべきは前者である。均等配分は一見「公平」に見えても、結果として努力する者、優秀な者のやる気を奪い、組織全体を停滞させる。
※ただしこれは『機会すら奪う』ことを正当化するものではない。どのメンバーにも努力し成長できるチャンスを保障することが前提条件となる。


まとめ──私の結論

Xさんとの失敗を通じて私は学んだ。
👉 上司はできる奴にこそ時間をかけて伸ばすべきである。

  • 成果は裾の長い分布をとり、少数の上位者が大きな価値を生み、さらには波及させる。
  • 投資効率は明らかにハイパフォーマーの方が高い。
  • 伸びたハイパフォーマーが周囲を引っ張り、結果的に全体が底上げされる。

マネジメントの本質が「目的達成のための活動すべて」である以上、善意よりも成果責任に基づいたリソース配分が求められるのだ。
※新人マネージャーにとっては、『誰に時間を割くか』を決めること自体が大きなプレッシャーとなるだろう。その場合はまず“短期間で成果が見込める人物”を一人決め、集中して伸ばす実験から始めると実感を掴みやすい。


最後に勘違いしてほしくない点

それはXさんが無能だったのか?という点である。
これはマネージャーたるものが戒めるべき点であるが。Xさんは無能ではなかった。無能であったのはマネージャーとしての私である。
少なくとも私以外の誰かならXさんの成長を引き出せた可能性もある(現に育った優秀なメンバーたちに触発されていた部分も見られた)。

またXさんへの評価すら私による評価に過ぎないということだ。私以外の上司、あるいは別の仕事の元では輝く可能性もあるのだ。
これは誰にも分らない。ただ私がマネージャーであった以上私に効果が出せない活動=Xさんへの指導に時間を無駄に費やすべきではなかった。ただそれだけのことである。

これからマネージャーになる方には是非肝に銘じておいていただきたい点である。これを忘れあなたが出来ないと感じた部下を「下」に見始めたとき、貴方は偉くなったと勘違いする事になるだろう。
そこにはハラスメント、人格形成など、様々な罠が口を開けて待っている。マネージャーなど会社内という狭い世界での役割に過ぎないのだからゆめゆめ勘違いしないことだ。

・・・あとね、もう一つ大事なこと。こういう話、部下にしちゃ駄目ですよ。態度に出してもダメです。出来る奴扱いされてるやつが調子に乗って結果ダメになったり、出来ない扱いされてるかも、と思ったやつはパフォーマンスが下がったりしかねないので。公式の見解や制度としてこんな風なことは言っちゃダメです。
マネージャー自身の考えとしてしっかり持ちながら公平性を担保しつつ、その枠内で生かすべき話です。


FAQ

Q. できない部下は完全に切り捨てるのか?
A. そうではない。最低限の指導と改善機会は与える。できる部下をもっと伸ばすことで私にはできなかった指導ができない部下に対して生きるかもしれないのだ。

Q. できる部下は放っておいても伸びるのでは?
A. 伸びる。しかし適切な指導と機会を与えれば、その成長速度は桁違いに加速する。放置はレバレッジの放棄に等しい。

Q. 公平性をどう担保するのか?
A. 「機会の公平」を徹底すること。誰でも努力と成果で上位に行ける構造を透明に示すことが重要だ。


参考文献・関連リンク

  • J. Rosenthal & L. Jacobson (1968). Pygmalion in the Classroom. (ピグマリオン効果の古典的研究)
  • Robert K. Merton (1948). The Self-Fulfilling Prophecy. (期待が行動を変えるメカニズム)